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ラベンダー(富良野の丘)
富良野町とラベンダーのつながりの発端は、『農業朝日』という雑誌の一編の記事に、『香料作物ラベンダーは初夏の傾斜地にうすむらさきの花を開き、なかなか詩情に富んでいる作物』という記事、『北海道新聞』にも『ラベンダーは北海道に適地作物である』との記事を見た上富良野町東中在住の上田美一氏、太田晋太郎氏、岩崎不二男氏等が協議し、昭和二十二年八月に曽田香料札幌工場に上田美一氏が訪問し、佐野工場長とラベンダー栽培について話合いが行われた。一方会社では調査を行い適地と認められたので、九月には太田晋太郎氏、岩崎不二男氏等二十一名が栽培することを決め、昭和二十三年度より委託栽培の契約を結んだ。しかし琴似で育成した苗七千本が輸送中時間がかかり過ぎ、また間作の導入やら活着不良等で失敗した。翌二十四年四月二十日、更に一ヘクタール余の苗の送付を受け、東中の契約農家に配付作付を行った結果、これがしっかりと根を下ろした。昭和二十五年には早くも採油することになり、吉河嘉逸宅に設置した簡易蒸留器により曽田香料伊丹工場長の指導を受け採油を行った結果、九リットルの精油を得た。油の量も多く、油の質も予想以上の良質であった。これで農作物として採算がとれると自信を得、上富良野町の特用作物とし拡大しようと関係者が相計り、曽田香料によって昭和二十六年六月に上田美一氏宅(東八線北十九号)にボイラー式蒸留工場を設け、蒸留抽の生産を開始した。昭和二十七年には耕作者二十八名、面積も十二ヘクタールと増加した。こうして東中から起ったラベンダーは、傾斜地で表土流失の防止にもよく、またわりとやせた土地でもよいということがわかり、全町的に作付をするようになった。そこで作付者が一緒になって、生産技術の向上と農業所得の向上を図ろうということで、昭和三十年三月二十七日にラベンダー耕作組合を設立し、初代組合長に吉河喜冶氏、副組合長に岩崎不二男氏、物井経也氏、顧問に上田美一氏、太田晋太郎氏を選任した。その後会長として昭和三十二年には長沼善治氏、昭和四十四年に上田美一氏、昭和六十一年に前川光正氏となった。その間東中・島津に蒸留工場、江花・旭野・日の出・豊里にそれぞれ簡易蒸留場を設置した。また昭和三十六年には上富良野町ラベンダー耕作組合蒸留場新設十周年記念式典、昭和四十三年には上富良野町ラベンダー耕作二十周年記念式典、昭和五十三年上富良野町ラベンダー耕作三十周年記念式典がそれぞれ行われた。増反、栽培管理、採油向上等の研修研究等を行い最盛期には、栽培面積八十五ヘクタール、全国生産量の八十%を占めた。


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